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【2017/11/25 06:56 】 |
印相(INSOU)における印鑑の歴史
現代社会で何かしらにつけて必要となる、いんそう・INSOU・印相について、紹介していきます。
前回は印鑑について紹介しましたが、今回も印鑑について紹介します。
今日は日本での印鑑の歴史についてです。

日本ではいつごろから印鑑がつかわれるようになったかは定かではありません。
今、現存する最古の印鑑は国宝に指定されている『漢委奴国王』の金印です。
歴史の授業でも必ず出てくるのでしっている人も多いのではないでしょうか?
天明4年(1784年)筑前国糟屋郡志賀島(現在の福岡県福岡市東区志賀島)で発見されたものです。
後漢の光武帝が中元2年(57年)に日本の『倭奴国』に金印を授けたという記録が『後漢書』にありますが、まさにその印であるといわれています。

そして印鑑制度の始まりについてですが、中国の官印(役所で使用される印)の制度が整備されたのは奈良時代で大宝元年(701年)律令制が整ってからだといわれています。
まだ当時は、律令に定めるところの公印のみで、原則的に私印の製造、使用は禁止されていました。
平安時代に入り、貴族にも私印の使用が認められるようになり、当時の藤原氏の私印(家印)が多数現存しています。
当時の一般庶民は、離婚届けや売買証文などは、氏名を自署すればよく、文字の書けない者は人差し指を用いて点をうつ画指という方法が用いられていました。
はじめは印鑑は貴族など高級層しか使えないものだったんですね。
今はほとんどの人が印鑑を所持している時代なのでなんだか変な感じです。

途中、官印制のかわりに花押が始まった時代があります。
平安時代中期から末期のかけて、官印がほとんど使われない時代があり、代わって花押(かおう)が広く用いられるようになります。
花押は公家、領主、武将などが用いたもので、一般庶民はなお拇印、爪印などを文書に押していました。

戦国武将たちがいた戦国時代では花押と併用して私印を盛んに用いるようになりました。
印文にもそれぞれ趣向をこらし、権力と威厳を表現しようとしました。
織田信長の『天下布武』の印、上杉謙信の『地帝妙』、豊臣秀吉の『豊臣』の印、徳川家康の『福徳』の印などは有名です。
印鑑が権力と威厳の象徴になるなんて少し不思議な気もします。

戦国時代以降、時代の変革と共に一般庶民の生活にも印鑑が深く浸透していきます。
明治6年(1873年)10月1日、太政官布告で署名のほかに実印を捺印する制度が定められました。
印鑑が正式に市民権を得た日を記念して、10月1日が『印章の日』となりました。

『印章の日』があるなんて初めて知りました!
また印相(INSOU)について紹介していきますが、当分は印相(INSOU)よりも印鑑についてが多くなるかもしれません。
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【2013/05/08 20:57 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
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